こんにちは.今日の日記です.よろしくおねがいします

睡眠

なんとなく半額だったガッシュ読んでたら3時半までいっちまいました.とうぜんまともな時間に起きられるはずもなく11時,1日が短いのはほんとうになんとかしないといけませんね.ガッシュはやっぱりあんまり好きではないです.ガッシュもおまえのこと嫌いらしいよ.なんか,いくらなんでも人のことで泣きすぎじゃないですか?という感想を最初に読んだ時知り合いに言ったら「そういうのやめなよ」と言われたのがまだ喉にひっかかってます.おれその頃からなんも進歩してねえな

くらし

今日も今日とてギターじゃかじゃかしつつ晩の炭焼きタイムに向けていろんな食材を仕込みました.野菜に串うってスペアリブ下拵えして,あまった野菜でラタトゥイユとかぼちゃのポタージュもつくったり,でかい台所で好き放題調理器具使っておりょうりするのはちょうたのしいです.たのしいですが,炭焼きは全体的にいまいちでした.エビは冷凍解凍冷凍解凍みたいなことしたらぐずぐず,ほたてはたいしてうまくないしかびかけ野菜はカピカピ,スペアリブもキャンプモンスターみたいな人のレシピ参考に下茹でしたらうまみがすっかり抜けててがっかり味でした.たぶんすべての原因は火の稚拙さで,火起こしむずそ〜と思って使った着火剤入りの炭みたいなのが熱量小さすぎ燃焼早すぎという感じだったのがかなりだめでした.やっぱりまじめにやるならしゃんとしたもの(ふつうの薪とか)使わないといけないし,さりとてしまりんみたいなのがいてくれないと着火もおぼつかない,ふたついいことはなかなかないですね.とはいえ火は純粋におもしろすぎるので,なんらかの理由でガスが使えなくなったときにもアツアツほかほかのごはんが食べられるよう今後も練習していきたいところです.近くに海辺とかあれば意味なく焚き火できるのでしょうが…….

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トイレにある雑誌適当にパラ読みしてたらジブリ作品で入門臨床,みたいな特集組まれてて,中でも分析の達人みたいなひとの千と千尋評が群を抜いておもしろかったです.才覚があるうえでただしい勉強をした(であろう)ひとの確固たる文脈に裏打ちされたホンモノの評論みたいなやつってすごすぎてため息しかでません.おもしろすぎ!!!!!!要点としては湯屋の世界を千尋の内的世界とみてキャラクターたちを自我の部分部分を担当する分身として読み替える,というような感じで,まあそれ自体はけっこう普遍的というか物語の元型というか,達人に言わせれば分析しぐさの域を出ないのかもしれないが,この転換によってもたらされる視座の変化は自分にとってあまりに新鮮で同時にかなりしっくりくるものでした.この視点によって物語に一本シャキッと筋が通って,すべての要素が無意識との対話による癒しの過程として作用しだすのが本当にすごい.銭/湯婆にはすべてを飲み込む超越的な親の姿,ハクは靴を拾ってくれるやさしさと自分自身の人生に苦しむ姿をあわせもつ生身の人間としての親,あるいはたくましく小狡く生き抜く力を持つリン,これら千尋自身の一部をとってあらわれるキャラクターたちとの対話を通じて導かれ庇護される存在から手を引く1人の大人にまで癒し成長する過程が「おせわになりました」の一言に集約されるというの,なんでいままで気づけなかったんだというくらい整頓されています.このピンとした一本道に比べれば,これまでの常道,たとえばゼロ論客にありがちなカオナシを声やことばをもたない虚な若者,千尋自身も自我があいまいで覇気のない若者としてとらえるような見方はあまりにそれぞれの文脈が散逸しているというか,結論ありきの恣意的な牽強付会であるように感じます.あとハクを千尋とは独立した存在としてその間のカンケーセーでにやにやするやつはふつうにきしょすぎる.もちろんこのロジックが物語それぞれの多様性を失わせる,過度に一般的な構造である(もっといえば「実質〇〇」とやっていることがあまり変わりない)という批判もあるだろうな,という予感はするものの,それだけを根拠にこの見方を価値のないものと断ずるべきではないと思いました.まあおれ自身が外にたいして閉じられた虚構の中で物語を通じて自分を癒す過程(ゼットのブルトン回とかおにめつの夢とか)が好きすぎるというのも多分にあるとは思いますが,ぜひご一読いただいてこの感動を味わっていただきたい.どのようにしてこの雑誌を入手するのかはわかりません.でかい図書館とかいけばいいと思いいます.

以上です.あさってにはかみたば完成させないといけないはずですが,かなりもういいかなの方に傾いてるので今日はとにかく日付変わる前に寝るやつをがんばりたいと思います.どうもありがとうございます