気温までの陽気が嘘のようにつめたい雨がしとしと降ったり止んだりの非常に不快な悪天候ではあるものの、それなりに充実させることができたおやすみでした。

昨晩は早起きにそなえて日付がかわるころにはおふとんへもぐったもののいっこうにねむけがこないので早めに魔法薬を追加して、ききめがあらわれるまで本を読んで時間をつぶし 1 時ごろ寝つきました。なんとか予定通り 7 時前のアラームで起きられましたが、ほんとうならこんなことはしたくありません。

起きてからは最低限の身づくろいをしたらポットにお茶を詰め病院に向かいます。せっかく眠い目をこすって急いだというのにいつのまにかバスの時刻表が改定されていて 15 分近くまつハメになってしまいましたが、おおむね予定どおりの時間に着いたので早起きの意味がない事態だけは避けられました。

つういん自体はおおむねトラブルなく進行し、診察においても異常な所見はみられなかったので一安心です。毎回血液検査をやるおかげで血糖値や肝機能などもついでにモニターできるのはちょっとオトクですね。センセーに質問したらなんでもこたえてくれるのでついつい知識欲をみたすためだけにいろいろ聞いてしまいたくなりますが、素人が領域審判してもたいていよいことにならないし診察時間を長引かせてもしかたがないのでてきとうなところで引き上げました。

診察後には今月下旬にひかえる下部内視鏡の説明も受け、前日からの準備を思ってすでにだいぶゲンナリしてしまいました。ほんとうにしかたがないこととはいえ下部内視鏡って頻度のわりにだるすぎるのでみなさんにもはやく味わっていただきたいです。さらにあらたな炎症マーカーの臨床性能試験に協力するため今年もうんちにスコップを刺さなくてはいけないらしいのも地味にユウウツです。やってみればわかると思いますがけっこうみじめなきもちになるのです。にもかかわらず同意書には「あなたの自由な意思に基づいて」などと書いてあるので欺瞞ですなと思ってしまいました。さすがにこんなところまで因縁をつけはじめると手に負えないししたくないのなら拒否すればよいし、なによりわりと近い将来その結果を享受できる可能性が高いのだからむろんやらない理由はありませんが、ほんとうに自由な意思にしたがうならうんちをスクープなんてしたくない、それどころか人糞以外を混入させてよけいなひと手間を取らせたい!などと考えてしまいます。

点滴については寝ているだけで終わるのでラクラク……かと思いきやうまく寝付けず、ようやくねむれたと思ったら夢の中で夢を見る状態になってしまって非常にくたびれました。体を動かしたはずなのにそれが夢の中の夢のできごとなので夢の状態に反映されない(しもちろんその間も現実の肉体はねむりつづけている)というややこしさは固い点滴用椅子の上で考えるべきことではないと思います。こういう入り組んだ夢を見てもなんとかこうして現実とおもえるところに戻ってこられるのはコツコツつみたててきたくらしあってこそなのかななどとも少し思います、あるいはそもそも現実感が希薄なだけかもしれません。支払いも揉めずに終わり、正午過ぎに病院を出ると外ではしとしと雨が降っています。

つういんのあとはせっかくとったおやすみを有効活用すべく上野に向かいます。わざわざ秋葉原で乗り換えるのもばからしいので御徒町方面へ歩き、おひるごはんには途中にあるアパートの一室を改装した洋食やさんへ入ってみました。おそらくワンルームであったろう室内にはところせましとフェイクグリーンが這いまわり、とにかくせますぎるうえひとりの場合はすぐ後ろをひんぱんに人が出入りするカウンター席に案内されるためあんまり落ち着けませんでした。常連っぽいひとはおひとりでも奥の方の座席に案内されていていていいな〜と思います。カレードリアを頼んだら添えられていた缶詰のコーンがめちゃめちゃバーナーで炙られていたのもすごいというほかなかったです。味はふつうでした

食後はさらに歩いて不忍池を迂回して東京都美術館を目指します。不忍池名物いちめんのしにハスはすっかり刈り取られ、岸辺に浮かんだ残骸が投げ入れられたゴミと混ざって完全にオフの状態としか形容できない光景でした。やたらとインバウンドっぽいひとびとが歩いていたのも印象的です、せっかく来たし予定を強行したのかななどと想像してしまいます。早咲き?の桜も咲いておりましたがこのさむさだとあんまり春という感じがしないのがざんねんです。

そうしてようやくたどり着いた東京都美術館で「印象派 モネからアメリカへ」をみました。祝日でも週末でもない平日ど真ん中の悪天候というコンディションでもみちのく基準だとちょっとゲンナリするくらい混雑していてすごいというほかありません。内容についてはわたくしが印象派の影響を受けた風景画にたいしてあんまり興味がないことをさしひいてもとりたててよいものではなかったように思います。入り口にはやっぱり拡大したモネの睡蓮に水面のゆらめきを投影するインスタレーションともいいきれない微妙なビジュアルアートがあってすでにだいぶゲンナリしてしまいました、いったいどうしてそんなに睡蓮をインタラクティブなものにしたがるんだ

全体の流れとしてはいつもどおり印象派の勃興をフランス中心にとらえたあと海を越えアメリカや日本にまでひろがっていく 1840-1910 年代をたぐっていくような内容で、しかしやはりピントを印象派にしぼってしまうとなんともひろがりがなく退屈ですね。途中にはウスター美術館が絵画を買い付けるにあたっての電報や手紙なども展示されていて、当時の電報ってこういう感じだったんだ(電報って "telegram" かとおもいきや "cable" なんですね、なんかかっこいい〜)とか理事会の承認を得る前に買い付けるのやばすぎるとか非常におもしろく見ることができましたが、それはそれとして絵画を入手する過程まで物語にして展示してしまうのはどうなんだというか、結局印象派ってもはや展示会として言う・言えることがあんまりなんじゃないかみたいな邪推をしてしまいます

そういう意味ではステヴァンスの「母」は非常によかったです。アカデミックで古典的な絵画を描きつづけていたひとらしく、それでも目のはしにうつるあらたな技法の魅力が無視できなかった葛藤のようなものが重たい静物の描写とやすらかな顔で眠る白くなめらかな布につつまれた妻という画面によくあらわれていたような感じがしますし、印象派が古典絵画の画壇から受けていたまなざしに想像をめぐらせることができます。

日本の作品についてはなによりさきにつらいという感触がきてしまいました。急速な西洋化の渦中にあって技法だけはたしかに印象派のそれであっても描かれている主題にぜんぜんよろこびがなく「明治期の油彩画」のトーンにまとまってしまっていて、結局風景描いていいんだ!みたいなおどろきや発見を真に追体験できないまま表現だけを輸入したからこんなことになってしまうんではないですかなどと思います。

アメリカの作品については独自に発展していったのですねという感じで、ハッサム「朝食室、冬の朝、ニューヨーク」などはさすがに作家と直々に交渉しただけあって見応えがありました。背景の窓から見える摩天楼などは国威発揚てきな側面とも融合しそうで、いわゆる「アート」のように絵画を日常の中に少しだけ非日常をもたらし自分をノーブルなものと接続してくれるアイテムとして消費する文化にもつながっていったのかなとも想像します。ゴーダーの「公園にて」もよかったですね、いろいろなひとがひとしく憩う公園が好きすぎて何度もモチーフにしていたというエピソードはおさんぽ勢として非常にうなずけるものがあります。魔道士のひとがグランドキャニオンをえがいたときにアメリカにおける印象派の本領がわかってよかったというような話をしていて気になっていたのですが、いざそのものを目にしてもあんまりピンと来ませんでした。

あとはホイッスラー「『バラ色と銀:磁器の国の姫君』のための秀作」がタイトルもあいまって非常におたく好きのするものでした。日本から見るオリエンタリズムって実質海外の反応みたいな感じなのであんまり現代において大手を振ってほめそやせるものではないようにも思いますが、とくに習作では和服のストンとしたラインが背景の屏風や直線的で荒々しい筆致とよくマッチしていて非常にカッコいいです。

ひとまわりして売店ものぞいたらアメリカのフィエスタというところの食器が売っていたのでちいさめの丸皿を二枚買いました。いつもオレンジや黄緑などでは味気ないので真っ青と真っ赤の二色を選んでみましたが並べると音楽室のカスタネットみたいだし、しらべたらもっとカッコいい色のものがたくさんあったのであんまりよい買い物ではなかったかもしれません。

帰り道には駅ビルのこしゃくな雑貨やさんでずっと気になっていたカワイイ色のビニール製トートバッグを買ったほか成城石井でプリンとケーキ、柿の葉寿司の詰め合わせも買いました。駅周辺にスーパーがいっさいないわりに成城石井があるのは不便でしかたがないし客層的にも成城石井よりマルエツのほうが人気なのではないかといつも思いますが、気づいていないだけで晩ごはんをチーズとワインですませられるひとが多いのかもしれません。帰ってからはくたびれていたので早いうちに入浴剤を入れたお風呂に入り、晩は柿の葉寿司を残り物のおひたしと一緒に食べました。ふだん鍋いっぱいのごはんをむしゃむしゃしているとこの程度ではおやつにしかならずもう少しなにか買ってくればよかったと後悔しきりです。

以上です。どうもありがとうございました