多少雲がかかってはいるもののそんなことは関係なくちょっと歩いただけで汗が吹き出してくるすさまじい暑さで、にもかかわらず一日おそとですごしたためまったくくたびれたおやすみでした。
昨晩はおやすみを満喫すべくげんきドリンクをひかえてさっさとねむりへむけた手順をすませるはずがもちょもちょオタク・ドロウイングにはげんでいるうちにどんどん時間はすぎてゆき、おふとんへ入るころには 2 時を回ってしまいました。もちろんすぐにねつくこともできず魔法薬を追加して就寝は 3 時前、ねむりがあさければ寝覚めも悪く起床は 9 時半です。8 時半ごろにいちど目が覚めてしまったタイミングでそのまま起きてしまえばよかったかもしれません。
起きてからはシャワーを浴びてなんとか目を覚まし、みづくろいをしたらおでかけです。あいかわらずゴミ置き場がカラスかなにかにめちゃくちゃ荒らされて家の前にゴミが四散していたのでかなりゲンナリしてしまいました。たぶんちゃんとネットをかけないやつがいるのだと思うがたぶん出している方は気づいていないのだろうしどうしたらよいのでしょうな。こういうときねちねち思うだけでおうちやさんに連絡をいれたりしないいくじのなさをなさけなく思うこともあります。まだ午前中だというのに外は殺人的な暑さで、駅までの道中でシャワーを浴びなおしたのかというくらいビチョビチョになって最悪です。
そうして電車に乗りこみ、上野で降りたら東京都美術館で開催中のミロ展にいきます。またも行こう行こうと思っているうちに会期末を迎えてしまったし、ほんとうはきのうおやすみをとってすこしでも空いているタイミングを狙おうと思っていたのにまあまあだいじめの集会がたくさん入ってしまったせいでやすめなかったのがくつうに日々を支配されている現実に直面させられるようでかなり不愉快です。こういうのはポスターをみかけたらすぐ行くようにしないとダメですね。それでも午前中なら多少は空いているのではないかと淡い期待を抱いていたのですがまったく見通しが甘かったようで、なんなら会場に到着した時点でミロ帰りとおぼしき人々ともすれちがって早起きできる体質への憎しみはつのるいっぽうです。
炎天の中を這々の体でたどりついた会場は会期終わりの週末だからかほんとうに信じられないほど混んでいて憎い憎い憎い!!!こういうメジャーどころのでかい回顧展みたいなのばっかりいくのが悪いのかもしれませんが鑑賞体験としてはほんとうにほんとうに最悪です。こういう感じだと一生ルーブルとかはいけないんだろうなとおもってかなりなさけなくなりますね。なお悪いことになんだかイベントがあったのかマグネットのおえかきボードを携えたキッズたちも押し寄せていて、なかにはまだ自我もなさそうな乳児とかもまあまあいて耳がこわれそうな大絶叫がそこらじゅうから響くのでまったく集中できませんでした。美術館は誰にでもひらかれている、ひろいこころでみんなでアート ♪ ではない、自我のないやつ情操教育すんな!!!!この中には幼少からカルチャーの薫陶を受けて展示側にまわるやつもいるんだろうなと思うとよけいに憎くなってしまいます。
内容についてもおもったよりピンとこなくて、うまくいえないがごく限られた美術に関する知識のなかでこの絵画群をどこにおけばよいのかがわかりませんでした。ゆめかわなグラデーションにいろどられた朴訥としたあらわれたかと思いきや急に細密画をやってみたりかとおもえば作品の中に詩を書き入れてみたりといった変遷は作風が洗練されていくまでの過程であるというのは承知しつつ、そのそれぞれが完成されきるまえに次のフェーズへ移るような感じでどうにも気が散ってしまいます。時系列がめちゃくちゃですが後期の作風がちょっとバスキアと偶然の一致をみるところもあってしばしば闘う画家を思い出してしまいました。あと細密画の破綻ぶりはほんとうにすごいですね、精密に形をとる技法の領域が作品の価値を決定づけるものではないにしても画面のこわれかたが中世の宗教画みたいでわざとやっているのだとしたらちょっとこわいです。当時は新しかったらしいステンシルについてもこのセンスが消費され尽くした今日においてはちょうど百均にありそうだなみたいなことをちょっと思ってしまいました。なまじキャンバスの地もあらわになった背景の色がうつくしいぶん台無し感が強まっている気がします。こういうステンシル書体に対する絶妙な古さというかやぼったさの感覚ってどこで育ったものなのでしょうか、そもそもこの感覚って共有できてます?
それでも今回のキービジュアルにも採用されている「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」とか孫に向けてかいたという超横長の「絵画(エミリ・フェルナンデス・ミロのために)」とかはわからないなりに青がきれいなのでよかったです。とくに後者はちゃんと導線にしたがって絵もすすむようになっているので孫へ送ったというコンテキストも含めてなんとなくやりたいことが伝わるような気がします。1960 年の「絵画」連作は後期につながる作風ながら落ち着いたトーンの中に初期のやわらかな雰囲気もあり落ち着いてみられました。後期の「女」が執拗に登場する作品群ではあきらかに女性器をかたどったシンボルが何度も登場してオッ性的客体化などと思ってしまったがたぶん違うのでしょう。同時期の立体物でも同様の表現がみられたし土偶のようなシンボルとしての表現という意味では一種のプリミティヴィスムといえなくもないのかもしれません。この時代の作家にはめずらしく伴侶を取っ替え引っ替えしたりしなくてもこういうのを何度も描きたくなるというのはちょっとふしぎな感じで、厳格な父に育てられたゆえの母性の不在とか欲求の発露とかありもしないことを読み取ってしまいそうになります。このシンボルがミュージアムショップでアクリルキーホルダーになっていたのは企画側のにやつきを感じるようでちょっとイヤでした。
たんにひとが多すぎてパニックになっていたからか展示の形式についても気になることが多くて、たとえば星座シリーズでは展示室全体が暗くなったところにスポットが当たる形で絵画が展示されているのですがこれがまあ目にこたえる。色味もよくわからなくなるし各人がその精神世界においてよくおのおのの夜を想像すればよいなどと傲慢なことを考えてしまいました。こういう回顧展には必須の生涯について詳細に記した解説もあり、実際のところ鑑賞体験としてこの形式のほうがよくなるのだとは思いますが情報厨なので絵と並べて解説してくださいと思ってしまいます。あと全体的に解説がミロ信者ぎみというかぜ日本の芸術との繋がりを確信を持って語ったりするのでなんかうるせ〜と思ってしまって、つまりぜんぜんはまれなかったようでなさけないです。「花火」シリーズの黒のかっこよさがアジアの水墨画につながるというのはそうかもなと思いました。
順ぐりに見て回って最後の方にあったキャンバスを切り裂いたり火を放ったりしている制作風景をおさめた映像を見ていたらとなりのひとびとがでかい声で逐一ツッコミをいれていて、その声がよく通るうえ中身がスカスカなのでほんとうにおおあばれしそうになりました。なにがかなしくて勘コメンタリーを副音声で聞かされなくちゃならんのだと思います、がまあ実際のところこの小さな銀河のいだいた感想も同程度のものなので言いたいことをぜんぶ言ってくれてありがとうということなのかもしれません。あとキャンバスに刃を突き立てるのにもけっこう苦戦していたのが印象的で、キャンバスってあんなに丈夫なんだという素朴なおどろきがあります。こういう実物でちゃんとやっているひとしか知らない感覚がたくさんあることを思うとわれわれ大衆の感情を絵画で表現というのはどだい無理なんじゃないかと思ってしまいます。
展示を回っているうちにおなかもすいてきたのでお昼は併設されているレストランで食べます。特別展コラボメニューというお題目でスペインっぽいおりょうりがあったのでいきおいたのんでみたら生ハムのサラダや冷製のトマトスープ、真鯛のポワレといったそれらしいおりょうりが出てきてけっこうおいしかったのですがとにかく味が濃い、これはワインとかがないとダメなのではないかと思いました。おまけでついてくるパンも小さくまずくおりょうりの味を受け止めきれないし、全体の量としても少なかったのでミニサイズのカレーも注文したらおもったよりおなかにこたえてしまい、まったくよけいなことをしたと後悔するばかりです。あとまあ場所代こみでしかたがないこととはいえお会計も卒倒しそうなくらい高くてトホホでした。
美術館を出てからは次の予定までけっこう時間があったので上野公園を散策します。ちょうどおまつりがやっていて縁日の屋台もけっこう出ていたのでおひるはここで食べればよかったかもしれません。炎天の下をウロウロしてすっかりくたびれたのでつめたい緑茶を飲みたいなと思っていたらつめたい緑茶の屋台!が出ていたのでおもわず買ってしまいました。ほんとうにいまさらではありますがこういうあらゆる欲求をみたす装置がどこでもすぐ近くに存在するのが帝都のすごいところですね、文明にありがとうという気持ちとこんなことをしてはいけませんよという気持ちがちょうど半分ずつくらいあります。
公園を一回りしてもまだ時間があって、かといって今からもうひとつ展示を見に行くようなげんきはのこっていなかったのでつづけざまに上野の街をパトロールします。露店のエリアをウロウロしていたら巨大な果実が……ドリアンだ!ひとつ丸ごとだと 9000 えんでなかなか勇気が出ませんが小分けにしたパックが手に取りやすいおねだんで売っていたので思わず買ってしまい、買ったあとにどこで食べればよいんだということに気づいて愕然としてしまいました。
このまま生ものを持ってうろつくわけにもいかないのでとりあえず誰もいなさそうな路地裏でパックを開けたその瞬間、ホテルや公共交通機関に持ち込み禁止と言われるゆえんが一撃で理解できました。正直ドリアンの匂いの話を聞くたび 嘘乙 と思っていたのですがなるほどこれは、これは聞きしに勝る異臭ですね。巷でいわれるような排泄物臭もなくはないのですがスカトールとかメタンとかのにおいとはちょっと違う、しいていえばガスくささが一番近いでしょうか……いややっぱりほんとうになににも似ていない、ドリアン臭としか形容できません。むしろこれまで名前のついていなかったにおいをこの先ドリアンで例えることができるほどの唯一無二の香りです。
この先にあるカスタードのような味というのをしんじてかじってみたら、これは、こんな……!たしかに繊維質を残しつつもねっとりあまくなめらかな味わいはカスタードといえなくもないがそれ以上にただよっていた香りをさらに強めたにおいの塊が鼻腔に直撃して、すくなくとも路地裏で手軽に食べられるものではなかったです。電脳世界に書いてあった「パティシエのつくるお菓子のような複雑な味わい」という意味はなんとなくわかりました、たしかにたんなる果実がこれほどまでにややこしい味になるのはまったくもって不思議だしやみつきになってもおかしくはないが、一回ではその領域にはたどりつけませんでした。食べてみるとにおいはほとんど気にならないというひともいるので、もしかしたら品種や成熟度合いによってはもっとおいしくたべられるのかもしれません。一回では食べきれなかったのでレジ袋へ入れてしっかりしばったのですが、舌の上に味が残っているからかあたりに残り香がただよっている気がしてならなかったので百均で防臭のビニール袋とジップロック、冷やすための凍らせたペットボトルを買って厳重に封をしました。これはほんとうに買ってすぐ帰らないとダメですね、というかドリアンでなくてもひとと会う予定の前になまもの買うなよというのはまったくそのとおりです。
ともかくインベントリになまものが加わってこれ以上外を歩けなくなってしまったのですこしでもにおいをごまかせそうな喫煙可の喫茶店を探します。しらべてでてきたところは長蛇の列ができていてしばらく並んでみてもいっこうに動く気配がないのであきらめて、路地を何回か入ったところにあるふるめかしい店がまえのところに入ってみます。となりのひとはレトロなカメラを机に置いてたばこをふかしながらクリームソーダを飲んでいて、あまりにそれらしすぎてちょっとおもしろくなってしまいました。今日においてはこういうふるまいも相対化されきっていて気恥ずかしくなりそうですが、二周まわってむしろかっこいいのかもしれません。やることもないので聞こえてくる会話に耳をそばだてながら壁を眺めていたら聞こえてくる話題がレコードとか葉巻だったのもよかったです。
そうこうしているうちによい時間になったので電車へ乗り込み、魔道士のひとびととの宴会に向かいます。今日の会場はビルの屋上にあるビアガーデンで、ついてからもしばらく時間があったので階下のブックオフをひやかしたらこんなおまちにおいても独特のすえたにおいや棚の間をうめつくす立ち読み勢といったよく知る雰囲気が健在だったのでほんとうに安心しました。ほんとうになさけないことではあるが結局ビニールにつつまれた変身小物をひとつひとつチェックしてデンジャラスゾンビあるじゃん!とかこれは食玩か……みたいなことを考えている時間がいちばんたのしいかもしれません。ビアガーデンについてはいちおうテーブルにガスコンロがあってそれらしい雰囲気ではあるのですが肉は一皿だけ、食べ放題のメニューというのも唐揚げやポテトといったすたみな太郎みたいなラインナップで、結局焼きそばがいちばんおいしかったのがおもしろかったです。まわりがどんどんケコーンしてやばいのでそろそろライフステージをすすめたいですねみたいな話をして、式にはよばなくていいのでせめてケコーンしたらおしえてくださいねと念押ししておきましたがこういうやつには黙っておいたほうが総合的にプラスであるというのはそのとおりだと思います。帰りの電車でそういえば鉄鍋のジャン!でドリアンとアルコールを合わせるとめちゃくちゃになるというエピソードがあったなということをようやく思い出しました、どちらも少量かつ時間があいていたのでなんとかなりましたがけっこうあぶないところだったかもしれません。おうちについたらまずドリアンの残りを冷蔵庫に入れて、かばんや服はすぐに洗濯機へ放り込みました。
以上です。どうもありがとうございました