さわやかな風が吹き抜ける絶好のおさんぽ日和で,かなりゆったりと過ごせた一日でした.
昨晩はなんだか妙に遅くなってしまって,寝るのは 3 時を回ってしまった上ぜんぜんうまくねむれず 7 時には目が覚めてしまいました.
家族がおきてくるまでやることもないので伴名練「百年文通」読みました.ざっくりいうと古い机の引き出しに入れたものが時を超えて百年前の女学生とつながることを偶然発見してしまった現代の女子高生が文通で交流を深めながら歴史を破壊していくライト百合??SF???です.歴史を改変してしまうことに対する葛藤がわりと早い段階で解消されるおかげで生じうるパラドクスに頭を悩ませる必要がなくライトな読み心地が担保されているのみならず,このロジックがともすると現実の困難を踏み台にしかねないスペイン風邪とビールスのパンデミックを重ねた危機感の演出に対するエクスキューズとして作用している巧みさ,あるいは引き出しに入るものしか送れないという制約をスマホごと送って回避したりといったテクニックもほどほどに小癪で,しかし決して本題である現代と大正ふたつの時代に存在する姉妹たちをめぐるドラマの邪魔をすることはない.というのももちろんですが,はっきり言って現代に興味シンシンの大正はいから娘静ちゃんがよすぎて関係のことがあんまり頭に入ってきませんでした.スマホ送ったら速攻で自撮りしてくれるほどあらたしいものに目がないたおやか女学生の様子を想像してごらんなさい(演習:慣れないピースサインやはにかむような微笑み,あるいは未知なる機械に向けられた期待がかくしきれない瞳とを想像してみよ【解答省略.】).目がしいたけになっているのがありありと伝わってくるようでこっちまでうれしくなります.百年経ったいまこの瞬間にも(たくさんのひとびとの尽力に関わらず!)感染症に敗北を喫している実情や,ひとびとを解放するというかがやかしい理念のもとにもたらされた思想はいまや本来の意義をアカデミアに残すばかりで市井においては分断と対立を煽るだけの道具に成り下がってしまいましたなといったことを思うとややクニャ〜ンとしてしまいそうになりますが,でかいリボンに袴姿で健在な浅草十二階を紹介している様子を想像したときの高揚感の前ではもはやたいした問題ではありません.YouTube にこんなチャンネルがもし存在するとしたらそれはいかほどたくさんのひとびとにとっての希望となりえたことでしょうな
みんなが起きてからはオムレツを焼いてくしゃくしゃのプリンを食べて,あとはもうおどろくほどにやることがなくまた天気もよいのでおさんぽに行きました.近所にまあまあでかめの沼があることをふと思い出して行ってみたら沼の周囲はけっこうしっかり雑木林で,しかも連休中とは思えないくらい誰もいなくてかなり快適でした.でかめの都市にありがちなちょっとよさげなところはいつでもどこでもまあまあひとがいる感覚にようやくチューニングがあってきたところだったので余計にびっくりです.みなさんには美しい水面のグラデーションではなく道に落ちていたセスジヒトリの幼虫をお見せしますね
たわしみたいですね.ほかにもアリが芋虫を運ぶ様子やアリがワラジムシを運ぶ様子やアリがなんらかの死骸を運ぶ様子などがみられてよかったです.もう少しで水芭蕉のシーズンだったらしく,野趣溢れると言うにしてもちょっと大きすぎる葉が水路に沿って大量に生えている様子はさながら中間領域でした.
ひさしぶりに歩いたふるさとの街並みはあまりになにもなく……ということもなく,あらためて見ると理髪店が多すぎるのがほんとうに意味不明です.二軒連続して関係なさそうな理髪店が営まれていたのを見つけてしまったときにはゾッとしました.実は知らないだけで長い髪にいわくのある悪神を祀っていたりするのか?まちカドに髪束!?あとは通っていた中学校を遠くから眺めて帰りました.まさか当時はいい歳して快晴の祝日にエニメソングを聴きながらご近所を徘徊する怪人になるとは……いや,ほんとうはカードプールの中に見出した風霊使いウィンに萌えてしまった瞬間からこうなるであろうことは薄々想像ついていました.おたくだから萌えるのではなく,一度萌えてしまったらあとはもうおたくになるほかないというのがより正確な認識であると思いますがいかがでしょうか.
同時にかつてはかすかな憤りさえ覚えていた,このまちを支配する野球部へ向かう力場や色褪せたミッキーマウスのことも今ならなんとなく理解できる気がします.あらたな選択肢を見出す余裕さえない単調な繰り返しの日々に少しづつ消耗していく中で現実を忘れひとときの夢をみられる世界といえばこれらしか知らないし,またもはやそれで十分充足してしまっている(から決して広がってゆくことはない)という状況は実のところおれが萌え萌え言ってるとあまり変わりがないのでしょうな.しいて違いを挙げるとするならその閉じた世界が世代を超えて伝わっていくかどうかくらいで……ぜんぜんちがう?すみません.
あとは包丁を研ぎまくり,晩はミズカレイをムニエル?唐揚げ?にしました.かなり大きくてきれいなミズカレイだったのでワクワクしながらさばきはじめたのですが,包丁はとぎたてとは思えないくらい切れないわ胆嚢破ってしまうわでさんざんでした.いままでさばけていたと思っていたのはよい道具によるところが大きかったのかもしれません.つづく調理もさっぱり勘がつかめずボロボロです.まず油の量からして間違っていて,揚げるには少なすぎるしムニエルにするには多すぎる.底面に皮がはりついて台無しになってしまってけっこう落ち込みました.それなりにおりょうりの腕をみがいてきたつもりでしたが,普段まったくやらない揚げ物になるととたんにボロが出てしまいます.おうちで練習しようにも揚げ物は一度やると揚げ油が酸化するまでのフライ輪廻に否応なく突入してしまうし,なにより揚げ物をたくさん食べることはそのまま瘻孔への最短経路であるという事実がほんとうにきびしいです.揚げ物大好きなフードファイターがいたらご連絡ください.ゆうパックで送ります
ついでという感じで吉岡友治「ヴィジュアルを読みとく技術 ── グラフからアートまでを言語化する」も読みました.萌え萌え美少女は出てこないもののかなり軽薄な文体のおかげでおれにもギリ読めました.視覚要素の読み取りにおいて個々の要素を正確に認識することから出発してよりユニークな仮説を立て検証するステップを繰り返すことで解釈としての確度をあげてゆくべしというのがおおまかな論旨で,それ言ってなんになるんだみたいな稚拙な議論を超えるために最低限必要な読み解きの方法論を実際にグラフやモダニズム絵画といったさまざまな例を通じて実践してくれています.グラフも(モダニズム以降の)絵画もなんらかの意味を持つ視覚要素の集合である以上同じ読み方で議論を深化させられるというのはたしかにそうかもしれません.かつて一瞬だけおそわった美学のセンセーが言っていた「絵を見るときにはまず描かれているものをひとつひとつ声に出して認識すべし」との教えにも相通づるものがありますね.
一方で肝心の『ユニークな仮説』をどう立てていくというのは結局個人の持つ知識と繰り返しの試行によるからがんばってねというところで話が打ち切られていて,この部分こそもう少し踏み込んだ議論をしたほうがよいのではないかと思いました.立てた仮説がおもしろくないのは論外として,あまりに強引だと今度は要素の間にありもしない関係を見出して好きな結論へと持っていくそれっぽいだけで実質なんの意味もないインターネット的な『考察』に堕する,というバランスを見極め友人との与太話の域を脱するのに何が必要なのかまでは教えてくれません.この塩梅は繰り返しの訓練とたゆまぬ学びによってのみ身に付くということであれば素人はやっぱりなにも言わないのが正解だろとなってしまう気がします.そんな程度でなにか言おうとすなという暗黙のメッセージであればもはやなにも言えることはありません.出てくる論述の例がことごとく学部入試レベルの小論文くらいにとどまっていたのも(蒙昧な読者に配慮してくれているのでしょうが)なんだかなというか,やっぱりこの方法ではこの程度の議論しかできないのではないか?と疑いたくなりますし,結局美術館でそれっぽいことを言いたいよねという話に還元されてしまうのもさもありなんという感じでした.ロスコの色面構成と共同体,キース・ヘリングとヘゲモニーといった代表的な作家とモダニズム絵画を読み解く上での足がかりとなる基本的な背景や文脈の対応を例示していく項はモダニズム絵画入門としておもしろく読めました.
あと各章の最後には男女?と思しきペアの会話形式で章の内容がそっくり反復されているのですが,この本に限らず対話形式ってわかりやすさになんの貢献もしなくないですか?結局のところアカシックレコード直結みたいなやつが口頭ではよういわん術語を駆使してエスパーしまくる様子を見せられたところでという感じですし,質問と回答のワンセットを口語形式で記述できるのであんまり前後の繋がりを考えなくてもよいという書き手の都合以外の意味があんまり見出せません.もっとはっきり言った方がいいですか?置いてかないで〜(;o;)
以上です.どうもありがとうございました