カレンダーを一気に数枚めくったような夏の訪れを感じさせる炎天で,ひさしぶりに外出してたのしくすごせた一日でした.

昨晩は日記も書き終えてウキウキ寝る準備していたらカスミスチェインの果てに麦茶ボトルを割ってしまって,泣く泣く片付けていたら 2 時を回ってしまいました.ちょうど二年前のいまごろから苦楽をともにしてきたものだったのでけっこうショックがでかいです.朝はちょうど一番つかれが出るタイミングで起きてしまって朝からかなりクタクタです.

起きてからはとるものもとりあえずなんとか身支度して家を飛び出し,話題沸騰のシン・ウルトラマンをようやく見ることができました.これは……,むずかしいぜ,おれのような雑魚にはなにもいえないぜ.せっかくなら大スクリーンで観ておく価値があるとは思いますが,一方でヒヒョーとかやってるひとが今後エバーのひとを語る上でこの作品も外せないというのはほんとうにたいへんだろうなと余計な心配してしまいます.

理由は主にふたつあって,まずこの作品がかくある理由を作家性に還元してよいのか・するとして誰に?という問題があります.監督が実権を握っているのか,脚本と言いつつ実のところ監督までやっていたのか,あるいは准監督(准監督ってなんだよ,これも元ネタあるらしいですがそういうのもダルいです)なのか……このこと自体は別に他の作品でも変わらず,いち視聴者でしかないわれわれにできることといえば今後出てくるであろうインタビューを注意深く読みながらその背後の微妙なパワーバランスに思いを馳せるくらいではありますが,少なくともシン・と銘打っている以上誰の作家性も意識せずフラットに見られるようなプロモーションではない気がします.今まで通りダメなところはエバー最終回に原因を求めていいですか?

あとやっぱり,過去作を直截に引用している箇所があまりに多すぎるためにあるシーンに違和感をおぼえたときそれが果たして意図的であるのか判断できず,言及することさえ非常にむずかしいというのもあると思います.そんなに真面目に過去作網羅していないふつうの人々にとって,ここがヘンだよと指摘しようとしたらそれは〇〇のオマージュであるのだが?とシュバられるならこわくて何も言えないですよ.そんな雑魚が何か言おうなど百年早い,過去作全部観てから出直してこいというのなら(まあまあ正当な主張であろうし)それはそれでけっこうなことであるが,じゃあシンゴジラ以上の熱量で宣伝をうつな.これもやっぱりプロモーションのまずさに収束していくのではないでしょうか.そしてなによりここが引っかかるんですが,今作が明確にオマージュしている特撮という営み自体がそういう手作りゆえに滲み出てしまう意図しないおかしみをいかに脱臭するかの試みではなかったのか?手書きの光学効果や飛び人形の姿を令和の世で”あえて”再現することは,さまざまな制約によって生じたやむを得ない隙を小馬鹿にするような悪趣味なパロディの再生産とさえ言えるのではないか.そしてそういう特撮をナメた態度こそ過去から現在に至るまでファンが激昂してきたポイントのひとつではないのかね?ていうか,もうエニメでやれ!!!!!!こんなこと特撮アーカイブセンターにはじまり日本特撮の地位向上に現在進行形で尽力しているひとびとに対してまかりまちがっても言えるはずはないですが,一方でそんなレベルのファンがそそぐ愛の形ってちょっと新参者には理解しがたいところがあるというのは多少ご同意いただけるのではないでしょうか.

同時に,テレビシリーズが毎回特撮表現の新境地を開拓するかのごとき気迫の映像を見せてくれているのにいまさら内輪のじゃれあいみたいなことされてもな,とはちょっとだけ思ってしまいます.CG がどうミニチュアがどうとかいう話じゃなくて,戦闘がほんとうにショボいんですよ.特撮的なおもしろさがどうしても見出せなくて,予算ぜんぜんなかったのかなみたいなどうでもいい心配ばかりしてしまう.へっぴり腰で尻を揺らすような独特の構えや怪獣をよっこらせと持ち上げる感じ,あるいは両脇に手足を挟み込んで回し投げる技とか,確かにシーン一つ一つの精度が高いんだろうなというのは門外漢なりに想像がつきます.つきますし,これをおもしろさとして受け入れることもできましょう.熱心なシリーズファンのひとが高評価だったりするのを見るにつけ,ノスタルジーを刺激する魅力があるというのは間違いないとも思います.しかしなまじ精度が高いからこそあまりに鼻についてしかたがない.映研で撮ってたやつからなんにも進歩してないじゃん.これが十年前ならともかく,シリーズそのものが長い暗黒時代に苦しんで苦しんでようやくあらたな活路を見出し界隈全体が活気付いているこのタイミングで,シリーズのタイトルを冠してスーパー懐古のセルフパロディをやられたらもうなんだったんですか今のはというほかないですよ.シン・仮面ライダーでも同じことされたらちょっと視界の色がどうなるかわからないです.封切りまでに初代だけでも完走して徹底的にイチャモンつけられる体制をととのえるべきかもしれません.

脚本自体は……どうなんでしょう.おもしろいことはおもしろいですし,いいか悪いかでいえばあんまりよくはないんじゃないでしょうか.基本的な構成はかなりテレビシリーズに近く,だいたい 30 分の怪獣退治 ×4 という流れなので全部無駄といえば無駄,しかし思い返してみると明確にここがいらなかったというシーンは存在しないのがこわい.緩急ではないですけど,やっぱり多少冗長なシーンとかもあったほうが見る分にはつかれなくてすむのではないかと思ってしまいます.またラストバトルの展開はどうしてもややひっかかりますね.原作の該当エピソードでは人間がギリギリまでがんばってどうにもならないときに光とともにあらわれる超人がもし敗北してしまったら,そのときにこそ人類の中に見出される光もあるのではないかという趣旨で理解していましたが,今作ではどうもそういう感じではない.描かれていることだけだと最後はまるでウルトラマンという力を人間が都合よく行使しているようにも見えます.個人の関係が暴力による強制的な主従を乗り越える,少なくともウルトラマンであり人間でもある神永という存在だからこそ人間/ウルトラマンの対立構造を乗り越えた先にすすめたとみることもできるのですが,しかし結果だけ見ればやっぱりウルトラマンがなんとかするんかい(しかもたやすく意思疎通できてしまうんかい)というふうにも読めて微妙なところです.ここはやっぱりおれの原作に対する理解がぜんぜん足りていないのだろうなという気がしてきたのでこの先はありません.あとこれはカスですが英語監修までつけて数式音読させるなら L と R の区別くらいつけんかい……調子乗ってすみませんでした

映像はもうただただこわい,この一言に尽きます.車一台写すのであっても真正面・真横・真後ろといった具合に病的なまでに真・正であることが徹底されていて,その一方で市井のひとびとをうつすときはあいも変わらず懐メロとともに手を繋いで歩く親子やラーメンを啜る労働者,第 3 村に感じた不気味な生気のなさがいかんなく発揮されている.人間に興味があってその営みを描きたいだろうシーンで出てくる映像からは致命的に質感が欠落しているのはもはやなんだかかなしいですね.これはもう本当に勘かつ意味のない想像ですが,おそらくこのひと(びと?)にとってはランダムで混沌とした現実からすみずみまでゆきとどき統制された均質なイデアとしての映像を切り出す技術こそが特撮の魅力であり,あるいはその切り出し作業の中に自らとの対話や癒しの過程をも見出しているのではないか.そしてその結果がどうなるか・どう映るか・どのように受容されていくかにはもはや興味がない.だから実相寺カットを再現してもそこには構図の特異さだけが寒々しく存在するだけで,意味や体温というものがまったく抜け落ちてしまうのではないか.こんなしょうもないことを邪推してしまうほどグロテスクな映像の連続でした.すくなくともいまのおれにはまだそこにカワイイを見出すことはできません.これほどのヒットメーカーでありもはや世界に名だたる超人たちが,まるで社会に開かれたポーズをとりながらその実徹底的に他者を拒みつづけていることは単純にかなしいしさみしいです.ただ天より飛来する破壊兵器のシルエットが青空に浮かぶ中禍特対の選択がそのまま世界の存亡につながってゆくシーンはセカイ系リーダーとしての風格にあふれていて,正直ちょうかっこよかったです.暮れなずむ工場地帯で向き合うウルトラマンの背後に新たなそしてさらなる脅威がたたずむカットもかっこよかったな.あらためて思い返すといいところもいっぱいありましたね.あとほんとうにどうでもいいことですがやっぱり今作も事故ダジャレあったので是非注意してみてください.こういうのってアテレコとか撮影の段階で誰かが(なんかヘンだな……)と思わないもんなんですかね,あるいはわざとだからかまわないのか?

という感じで怒涛のラッシュを受け,かなりぐったりしつつ映画館から出てうろうろしていたらとつぜん巨大な神社があらわれて,しかもかなり大きめの縁日が出ていたのはちょううれしかったです.ビールスが大爆発してからというものおまつりと微妙に縁遠くなっていたので余計にテンション上がってしまって,両手にシャーピンとかき氷をもってこれ以上なにも買えない〜!(;o;)とかやってしまいました.帰り際に気づいたんですが,この神社は邪神ちゃんドロップキックでおなじみ花園神社でしたね.はからずも聖地巡礼まで達成できてとっても満足です.当初寄ろうと思っていためあてのカヘーはしっかり混んでいたのでおとなしく退散して,おうちで 4 時間くらいオタク・トーキングに花を咲かせました.ちょうど年度末に夜通しかなり熱くトーキングして以来やや微妙な感じになっていたひとだったので,今回はいいところで切り上げてたのしい空気のままおわれたのがよかったです.批評の教室でも言われていた通り作品読みはひとつのゲームであり,ゲームである以上勝敗や巧拙が存在するという立場は個人的にかなりうなずけるものだったのですが,中にはそう思わない,あるいはそのゲームに価値を感じないひともいるというのはけっこうだいじなことなのでしょうな.通時性ではなく自ら見出したカワイイこそが真実であるという態度はひとつ見習うべきものがあると感じます.ということをひととオタク・トーキングするたび思います.なにより君は積み重ねられてきた文脈からなにかえらそうに語れるほどたくさんの作品に触れてきたのかねと言われて反論できない程度なら,さっさとこのゲームから降りて自らのカワイイをよりよく見出す練習でもすべきだというのはまったくそうですね.おたくの思想には実践が足りない,私の好きな言葉です.

ひとを駅まで送ったあとはいきおいダーク・スタスタもしました.晩も外食で済ますつもりが昼間の暴食でけっこう胃腸がつかれてしまって,冷やし中華がちょうどいいなと点心がおいしい中華やさんに入ったらほんとうに点心しかなかったのでしかたなくやさしそうな餃子だけ食べて,そのままでかい風呂にもいきました.今日はずっとひげそってるおじいちゃんいなかったです.ついに生えなくなったのかな

以上です.ひさしぶりに巨大繁華街歩いたらすっかり疲弊してしまいました.しかしほんとうに地雷系ファッションての多いんですね.道ゆくひとの五人に一人はそんな感じでこんな地雷原があるかよとちょうこわかったです.つかれすぎて頭割れるようにいたくなってきたので今日こそさっさと寝ます