あいかわらず強烈な日差しが絶え間なくふりそそぎ気温だけでなく湿度まで高く汗がぜんぜん乾かないハードコアなおてんきで、めげずにおでかけしてくたびれたなつやすみっ ☀️ 最終日でした。

昨晩ははやいめに飲みはじめたおかげでべちょべちょになって目を閉じてもまだいつもより早い時間にはねむりへむけた手順をこなすことができ、ゆったりおたく活動へはげんでお布団へ入ったのは 1 時前です。寝つきも悪くなくげんきドリンクの効力で早朝覚醒こそあったものの 10 時前にはなんとか起きることができました。

このままコーヒーでもいれてだらだら過ごすというのもたいへん魅力的ですが、そういう過ごし方をすると 17 時ころにめちゃめちゃめいかくにしにてーの波がおそってくるのでどこかへ出かけて休み終わりのユウウツさをやわらげる戦略をとることにします。みづくろいをしたら意外と着るタイミングがない火文明の除去呪文みたいな柄のシャツを着てでかけましょう。先日髪を切りそびれたこともあってもはや後ろ髪がいっさい言うことを聞いてくれなくなっていて、どんなに濡らしてブローしてもすぐまんがのイヤミな金持ちみたいな跳ね方をしてしまいますがひとに会うわけではないので気にしないことにして外へ出ました。

外は午前中とは思えないほどの暑さで、日光にくわえ湿度がひどいので熱がこもってほんとうにキツい。ほんとうはこのまま電車に飛び乗ろうと思っていたのですが、さすがにこの暑さでおなかに何も入れないとわけわからんタイミングでぶったおれる可能性が否定できないので駅の中にある喫茶店でカンタンな朝ごはんをたべました。なんとなくイヤホンを外していたらとなりに老夫婦?カップル?独特の距離感の男女がいて、高校野球の結果をふたりの会話から知ることができたのがよかったです。たべたのはポテトとソーセージのパニーニで、おいしいはおいしいがポテトがなければかんぺきなのにと思いました。あらゆる喫茶店にホットドッグを置いてほしいと常から思っています。

そうして上野で降りて降り注ぐ殺人光線にやられそうになりながらなんとかたどりついた今日の目的地は東京都美術館、「つくるためのよろこび 生きるための DIY」をみます。DIY をよりよく生きるための方法だけでなく手を動かすことで困難を乗り越えるための手段として再定義したうえでそういった手作業の先にあるアプローチをとっている作家による作品をあつめた企画展で、思ったのとはだいぶ違ったなというのが最初の感想です。作家数が全 5 組ということもあって作家をまたいだコンセプトを明らかにするには多様性に乏しくいっぽう各作家を深掘りするにはコンテキストが足りないというのがなにを見ればいいのかわからないという感覚につながっているのかもしれません。

入ってすぐにあらわれる若木くるみによる日用品を「刷る」ことでうまれるユーモアを交えた造形の展示は最初こそ日用品にこんな見方があるのかという図工の教科書を読むようなたのしさがあったのですが、作家がひとりだとどうしてもおもしろさのパターンが限られてくるのですぐに見飽きてしまいました。実際にはもっといろいろ手札があるのに今回の展示では似たような作品ばかり集められていたのだとしたらかなしいですね。いちばんおもしろかったのは薬のフィルムを使った版画で、なんとなくこういうところで出てくる薬ってオランザピンとかなのかなと思っていたらぜんぜんカロナールだったのがよかったです。

つぎの瀬尾夏美による震災をきっかけとした災禍をとらえなおす協働プロジェクトみたいなやつはかなりヘビーで、にもかかわらず展示全体でもかなりのボリュームを占めるので時間もかかってくたびれました。大前提としてこういうひとのほうがよっぽど現地に足を運んでひとびとの心に寄り添い経済にもよい影響を及ぼしている……有り体にいえば復興に貢献しているわけですが、それでもやっぱり電気も止まってねーやつが土足で入ってくんなし!!みたいな気持ちからどうしても離れられない。たとえば震災直後のみちのくの風景をえがいた作品をみるととっさにぜんぜんちがう、みちのくの空つったらもっとなんかいっつも曇ってて心胆寒からしめるどんよりさだろうなどと思ってしまう。いうまでもなく体験していたからエライとかしてないから語れないとかそんなことがあるはずもない、ひとの数だけ震災の日があってだいじなのはなにを誰にどう語るかだけのはずですが、結局今回の展示もみんなてきとうに流しているだけの様子をみると語られる側の準備がいっこうにできていないいまのありさまではなにをどう言おうがないがしろにされるばかりではないか!とおおあばれしそうになってしまいます。この感覚を敷衍すればこの小さな銀河が体験していない災害とかに対して葛藤や屈折した思いを抱えたひとびとがいることは想像できるはずで、そういったひとびとと対話する場面でこの気持ちをすばやく引き出せるようになれば多少はなにかの役に立つでしょうか。これだけセンシティブな行為を震災直後の陸前高田に入ってから 10 年以上続けているというのはそれだけでだいぶすごいなとは思います。あとこの作品群をつくるきっかけとなったクロッキーというのも展示されていて、震災があった晩でもいつもと同じ線が引けたのに違和感があったというところからはじまっていたのはなるほどと思いました。

そのつぎの野口健吾による路上でくらす人々:「庵の人々」をとらえた写真群はどのような場所にあってもひとはすみよく工夫する手を止められないということがありありと伝わってくるという点で見応えがあり企画の趣旨にもよくあっていたように思います。とくに数年にわたり大阪の庵の人々をとらえた作品では庵がどんどん大きくなっていたのに最後だけ急にコンパクトになっていたりして、語られない日々の積み重ねに思いを馳せてしまいました。ただ大量の写真を一定間隔のスライドショーにして 2 枚のディスプレイでひたすら流すという展示方法はあんまりだなと思いました。写真一枚一枚は非常におもしろいぶんぜんぶ見たくなって気が狂ってしまうし 2 枚あると全部見なくてはいけなくなるのでよけいに気が狂います。というかこの展示にかぎらないがとにかく得られる情報を最大にしたいので漫然とした(ようにみえる)映像作品があると気が狂ってしまう、早送り中毒の世代向けにぜんぶの映像作品にシークバーと再生時間出してくれと思ってしまいます。

最後はダンヒル&オブライエンによる彫刻と映像作品、久村卓による布を中心とした展示でした。前者の「シェッド:トゥエルブ・ストーリーズ(こぼれ、つもり、息づくもの ── 十二の物語)」が単純にお話としてめちゃくちゃおもしろかったです。手仕事にまつわる 12 の小話が関連する映像とともに語られる映像作品で、台座をどんどん大きくしていくうちに台座そのものと戦わなくてはならなくなった教授や戦火による傷のためかしばしば破壊的な模様替えを行なっていた母の思い出といった寓話的な示唆に満ちたエピソードが淡々と語られていきます。どのエピソードも手仕事が中心になってこそいるものの安易な「手」讃歌には堕しておらず、むしろ好むと好まざるとくらすかぎり自分なりのやり方で工夫して日々をうまくやるしかないというのを読み取れるようにも思えてそのバランス感覚が非常に好ましかったです。昔放送局勤めの父親に連れられて行ったラジオドラマの収録ブースが収録中に必要なあらゆる音を作るためのクフウに満ちていた、というエピソードもまとっているノスタルジーとこれが今にどうつながっているのかはわからないがとにかく自分の中で生きているという落とし所のよさとがあいまって非常に印象的でした。

この内容でなんもいじれないのはウソだな〜と思っていたら最後のチャプターではじっさいに手を動かせるようになっていたので安心です。木材にほどこされた彫刻でフロッタージュを体験できるコーナーもあって、せっかくなのでためしてみたらおもいのほか力加減がむずかしくなんだかよくわからない感じになってしまいました。オリジナルの ZINE をつくったりするワークショップとかもやっているらしい、せっかくなら木片とかをがちゃがちゃやるやつもあればこどもに人気だろうになどとよけいなことを思ってしまいますが実際には館内で粉の出ることはできないとかいろいろ制約があるのかもしれません。美術作品でもなんでもない雑貨がガラスケースに入って展示されているコーナーもあって、その隣には任意の私物を置いて作品のようにできるスポットがあったのでイヤホンケースを置いてみたらフツーに忘れ物みたいになりました。台座の意義を問いかける映像のあとだったこともあってみょうな批評性がうまれていたのがよかったです。

せっかく外へ出たので前から気になっていたところをもう少し回ってみましょう、秋葉原から総武線に乗り換えて錦糸町にあるコシャリやさんへいってみます。以前コシャリを作ったときにいちどくらいはよそで食べてみたいと思っていたのですが意外と機会がなく、探してみるとなんでもある帝都においても専門店はここくらいらしい。たぶんエジプト料理やさんへ行けばメニューの一つとして提供されているのでしょうが、専門店なら確実にコシャリが食べられるのがいいですね。いかつい雑居ビルの谷間にあるドアをびびりながら開けたら店内は長いカウンターが奥に続くいかにもなつくりで、やっぱりカメラを携えたカップルがいたのでやるじゃんと思いました。

さすがにファストフードというだけあっていろいろカスタムもできるようですが、初回なのでとりあえずふつうのコシャリとモロッコのラガーをたのんでみます。わりとすぐ出てきたコシャリはいかにもな金属の皿に盛られていて、おこのみでダッアとシャッタをかけてくださいと言われたので知ってる知ってる!!とうれしくなりながら食べました。味は正直じぶんでつくったのとあんまりかわりませんが、一から作るとまじでかなりめんどくさかったのでこの味が手汚さずで食べられるのはかなりいいですね。それにしても食べれば食べるほどお腹がすく味だ、半分ほど食べたところでどうやら大盛りもあったのに気づきもう一杯食べるかかなり悩みましたがおなかのことを考えてやめ、かわりにモロヘイヤスープを頼んでみました。この小さな銀河の奥義にくらべ本場の味はどうかと思ったら思いのほか胡椒が強い!にんにくもかなり効いていてタフになりそうな味ですね。しかしこの暑いときに食べるものではなかったことは認めざるを得ません、とろみがついていつまでもさめないのをがんばってすすっていたらすっかり汗みずくになってしまいました。あと後ろでしゃべっていた二人組のひとがどうやらかなり年季のはいったおたくらしく、なのは抱き枕事件を生で見ていたと豪語していたので非常にきになりました。当時を知るおたくたちもすこしずつ高齢化しているのだろうし、記憶が曖昧になりエピソードが盛られる前に記録しておいたほうがよいのではないかと少し思います。

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帰ってからは先日の帰省ですっかりげんきのなくなってしまった鉢植えたちが復活するよう祈りながら水をやり、晩ごはんにはとくに食べたいものも思いつかなかったのでカレーブラスターをつくります。根菜類を下ごしらえして水で煮ている間に塩をふった豚の塊肉をスライスしてフライパンで焼き付け、白ワインでデグラッセして野菜と合流させたらちょうどおにわでひろってきたパセリの茎などでつくったブーケガルニを加え煮込んだところでベースは完成です。あとはできあいのルウをいれて完成と思ったら買ってきたのが具なしのレトルトカレーのようなものでした。何!この不便なモノと思いましたがまあよく読まない方が悪いと言えばそうですね。

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くらしのチェックシート