ほどほどに晴れているうえ歩き回ってもほとんど汗をかかずにすむすずしさのすばらしいおてんきで、しっかり外出したのでくたびれた小連休みっかめでした。

昨晩はげんきドリンクをがまんしてかなりはやい時間にごはんを食べおふろにも入りとねむりへ向けた手順をととのえていたものの、ニチアサをみたりボルゴウをたらたら書いていたりしたらおふとんへはいるころには 1 時近くなってしまいました。もちろんここしばらくずっと遅寝がつづいていたところで急に早寝できるわけもなく、ねむけがくるまでグィターをチャカチャカしていたら結局就寝は 2 時半です。9 時ごろには起きられるかななどと甘い見通しでおったら目が覚めたのは 10 時すぎ、午前中に起きられただけマシと言い聞かせながら起きました。

起きてからは身づくろいだけしたら国立新美術館でやっている「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」をみにいきます。南北線に乗り換えるためだけにたった一駅移動しなくてはいけないのはおっくうに感じるしやっぱり街の雰囲気が憎いぜ、何度来てもこの街に小さな銀河がジッとできるすきまはねーっと思います。

展示は国立新美術館と香港の M+の共同キュレーションで 1989-2010 の日本における美術表現の探究についてざっくり俯瞰するような内容で、日本の現代美術について大まかな流れを相対化したような展示が見たいと思っていたのでその点はちょうどよかったです。しかし会場の広さに対してかなり展示が多く、ほかの展示会でも見かけた作家の作品やがばんばん登場して後半にかけては雑然としていくこともあり、時代におけるシーンのありかたとかを体系的に読み解けるような感じではありませんでした。あと正直ここまでのボリュームだとは思っていなかったのでペース配分を完全に間違ってしまい、序盤に時間をかけすぎて後半はすっかり息切れしてしまった側面もいなめません。

なによりとにかく映像作品が多い!!!ピンと来てもこなくてもとにかく作品から得られる情報量を最大にしたいというキモいこだわりがあるおたくにとってはとうてい全部は見られないというだけでかなりストレスかもしれません。それでもはじめのほうは爆音で God Bless America を歌う粘土をこねながら飛んだり跳ねたり交尾したりする高嶺格「GOD BLESS AMERICA」8 分 18 秒とかを最後までみたりもしたのですがつぎはサイモン・スターリングによる広島とシカゴを原爆でつなぎ能で演じる「仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)」25 分 54 秒、あげくシャロン・ロックハートの女子バレー部による運動のなかであらわれる繰り返しの幾何学を定点カメラで切り取った「Goshogaoka」が 63 分!?内容以前に数が多すぎてかなりうんざりしてしまいました。その後のリクリット・ティラヴァニャ「<ゴースト・リーダー C.H.>」にいたっては 8 時間 30 分だったので、もともとぜんぶ見ることは想定されておらず 10 分くらい映像を眺めていろいろ考えてみるというのが想定された態度のような気もします。

あと「Goshogaoka」はなんで女子中学生なんだよというところがやっぱりちょっと気になってしまいました。ここに邪な意図を見出すべきではない、女子中学生の持つ不安定な溌剌さがこの作品に必要だったんだみたいなことを言われるとそうかも……?と煙に巻かれそうにもなるのですが、束芋の公衆トイレで起きるさまざまなできごとを露悪的ながら互いに無関心な形で描写し、その合間合間に男性性のからみつくようないやらしさをえがきだすアニメーション「公衆便女」と並ぶととたんに悩ましく思えてくるのは展示の妙味かもしれません。これが男子中学生でおなじ表現にはならなかったのか?たとえ女子中学生でもジャージだったら、でも練習はウェアでやるのがフツーだろとかいろいろ考えてしまうし、いっぽうでそういうのとは関係なく肉体の運動がえがきだす幾何学的な軌道とそれをみだす人間の乱雑さとの相剋とかそういうところに着目すべきなのではないか。

そんな映像作品の中でもとくにイヤだったのは「若き侍の肖像」、特攻に行くらしい青年が父母に感謝を伝える……というシチュエーションを演じる役者がディレクションを受けながらどんどん極端な表現に進んでいくというような内容で、最後はもっともっと侍の魂を!母上!!いやだーっいかないで!!行ってまいりますいかないで!!!(ボババババ!!!!!)このやりくちぜったい小泉明郎じゃん!と思ったら案の定でした。はらだたしいことにこの画面の向こうにいるわれわれにまでなんともいえないきまずさと不快さを強いてくる作風は一発でわかってしまいますね、あまりに全力でウソすぎると画面の向こうの熱狂とは裏腹にこちらの気持ちはどんどん冷めてきて、あっいま噛んでちょっとにやついたなとかすごく意地悪な気持ちで画面をみるようになってしまう。いっぽうこの描写はやりすぎにしてもこういう一種のコールアンドレスポンスで気持ちのボルテージをどんどん高めていって最終的にめちゃくちゃになるみたいな行為は現実においてもしばしばみられるもので、戦争という一種の熱狂自体がその側面を帯びていたことも考えるとなんというかじぶんのなかにある冷笑的な気持ちを無理やり掘り起こされるような感じがしてつねに不快な気持ちになります。一回全力で表(この場合は特攻隊賛美的な要素)をやることであえてモチーフと距離を置かせて、やっぱりこの熱狂はフィクションであっておかしいというのを突きつけ、しかしそれら表が現実において起きたことだというところに批評性と思考の余白を残す技法はみごとというほかないしそれはそれとしてめちゃくちゃムカつく。調べてみるとこの映像が韓国の展覧会ではけっこう問題になった(のちのインタビューで解消している)こともあったらしく、たしかにまず現代日本において(あるていどリベラルな立場においては)特攻は美化されるものではない、という前提を共有しないと全力の表のところでなんだこれはとなるのもとうぜんかもしれません。どうやら中編くらいの映像作品もあるようなので機会があったら立ち向かってみたいです、がイヤなところをてきかくにツンツンされて不快なので自らみにいく勇気は出ません。

そのほか印象にのこったものだとチョルノービリで撮影した写真とそのときの防護服が展示されたヤノベケンジ「アトムスーツ・プロジェクト」、これはただただビジュアルのよさですね。サイモン・スターリングの「牛若の面(アトム・ピース/ニュークリアエナジー)」はシカゴ大にあるムーアの彫刻をもとにしているだけあってみごとな造形で、ちょっとカノカっぽいのもよかったです。サイパンや台湾など日本による植民地支配があった地域で風景にとけこんでゆく鳥居をおさめた下道基行「〈torii〉」シリーズは十字架のならぶ墓地にぽつりとうかぶ見慣れた形や横に倒されベンチになっている様子といったところに人のたくましさと占領という行為の意味を直面させられるし、なによりたんに絵としておもしろいところをよくこんなにみつけるなという写真家の嗅覚におどろきます。森村泰昌によるボデゴンでよくみられるモチーフに自身の肉体の一部を組み合わせた彫刻は展示の方法もよくて、暗闇の中にぼんやりと静物が浮かび上がるライティングそのものがかなりボデゴンだったのでかなり興奮してしまいました。シュールレアリズムにつながる異形感や超現実感もたまらないですね。全体的に現代ならではの病理や葛藤にスポットを当てた作品が多い中島袋道浩のいろいろやるインスタレーションはだいぶ異彩を放っていて、終盤というくたびれていたタイミングだったこともありけっこうたのしめた気がします。まずはかつてたくさんのひとを救った犬がいたらしいのをたたえていきなりやった「スウォンジー・ジャック・メモリアル・ドッグ・スウィミング・コンペティション」、いざやって撮ってみるとまるで昔からやっていたかのようにおさまったという話が非常によかったです。

また存在していないのだけど、あるべきだと思うことをあるべくようにやること。

これって日々のくらしかもね。

あとはぴかぴか光って日韓の両方で食べられているらしいタチウオでビルの上から朝日を反射してコミュニケーションを取るとする「アートソンジェ山の夜明け」、正味コミュニケーションが取れていたかはともかく最終的にはおいしく食べましたというところまでを 3 分くらいでさっと撮って見せるので、その企画のユニークさもあいまってあるべきだと思ったらやるというイズムは通底しているようにもかんじられるところがいいですね。

という感じでボリュームたっぷりでかなりたのしめこそしたものの、当初の目的だった日本における現代美術の広がりについて頭を整理することはできませんでした。むしろ以前から感じていたこの時代の日本でうまれた現代美術……とくに大きなできごとにたいする批評的な側面をもった作品群がどうにも表層的なところにとどまっているようにみえるのはなぜかという疑問はふくらんでしまったくらいです。これはもうかなり投影がはいっているものと自覚していますがやっぱり東京育ち美大上がりのカルチャーくんがちょっと左巻きにかぶれた時期たわむれにテロや震災を描いていたというところが評価されているだけで、そこにまなざしの誠実さとか腰を据えてできごとがもたらしたものを掘り下げていくような相互的なアプローチはほとんどないような気がするし、実際そういう展示に足をとめるひとはすくないなというのも実感としてあります。たとえば震災を掘り下げるとなったときにも復旧に尽力したひととかそのインフラを支えた人とかどの線から切り取っていくかというアプローチもたくさんあるはずなのにたいていは話を聞きにいくにしても現地に住んでいるひとばかりだったりするのもなんだかすごくモヤモヤしてしまいます。ショッキングなできごとの中で過ごした日々は人の数だけあって、あるのに、こういう場にあらわれるのは暴虐の限りを尽くす権力を小馬鹿にしたような表現ばかりなのは芸がない……とはちょっと違うか、率直になんで?と思います。正味この小さな銀河もべつに今回扱われていたテロや阪神淡路大震災といったできごとの当事者ではないしなんでモヤモヤするのかはじぶんでもよくわからんが、やっぱり風間サチコとかが描くような絵をもってじゅうぶん批評の義務は果たしたとはしてほしくないなというのが正直な感想です。

全体的にはちょっと内容過多でイマイチ不全感こそ残りますが、とにかく点数が多いので全部見なきゃと勝手に思ってる脅迫オタクでもないかぎりじゅうぶんたのしめると思います。エピローグのコメントもよかったです:

本展は相互につながり、国境のない世界観が疑われ始めている現在、グローバリズムの価値をささやかに肯定するものです。本展をご覧になった方々が、現状からの前進は記憶や熱慮と同じように、対話と理解に基づくとじる私たちに賛同いただけることを願っています。

なにか潮流がうまくすすまなくなったときそれをくさしたり乗り捨てたりするのではなくて、なぜ進まなくなったのかということを考えたり対話できたりする余裕くらいは世界に残っているといいですね。さいわい会期の初期だったので、もう一回くらい今度は腰を据えて映像作品だけ見にきてもよいかもしれません。

さすがに朝から飲まず食わずでおなかがすいたので、館内にあるカフェで軽食も食べました。前きたときにはなかったサンドイッチが出ていたので一も二もなくひっつかんで、コーヒーもふつうのと 60 円しかかわらないプレミアムというのにしてしまいます。さいわい外に空席があったので座ったらおもいのほかすばらしい気候で雨も降っていなければ暑くもない。多少風が強いとはいえがまんできるていどだったのでいきなり鳴きはじめた季節外れの蝉の声を聞きながらサンドイッチをむしゃむしゃしました。サンドイッチはマヨネーズでべたついていてあとから確認したら脂質驚異の 22g だそうですが、ほかに選択肢はなかったのだからとじぶんに言い聞かせて心を守りました。

せっかく遠出したのでこのままおまちで祖母の誕生日祝いをみつくろうことにします。毎年記録更新みたいな老齢のひとに何を渡せばよいのかさっぱりわかりません、いまさらお皿とかあげたところでというかんじはかなりするので消えものは前提として健啖家とはいえさすがに歯も消化器もおとろえているだろうし……いろいろ考えていくとやっぱりあんこものしか思いつかないので、美術館からしばらく歩いたところにある老舗の和菓子やさんで羊羹を 2 棹とてきとうな干菓子を買ってお茶を濁しました。道中でかいゴキブリが死んでいたのでテンションが上がって写真をとったはずなのに今見たら残っていなかったのがけっこうショックです。

店内はわりとどこにでもあるような気安い雰囲気だったのになんだかみょうに緊張してしまって、買おうと思っていた商品名もうまく伝えられずきょどってしまったのがかなりなさけなかったです。慶事なのでそれにみあうつつみにしてくださいとたのむこともできなかったしこんな遠投したくなるちょうどよい重さの棒を 2 本も食べ切れるのかはよくわかりません。日持ちもするしまあ貧相なよりはたぶんよいでしょう、ほんとうは名物らしいアノーニみたいな見た目のお菓子が華やかでよさそうだったのですが、三日しか日持ちしないとのことで今回は見送りです。店内にはちょっとしたイートインスペースもあってお茶を飲めたりするらしく、味見がてらなにを食べようか迷っているうちに港区でしかお目にかかれないギラギラした高齢カップル?が席に座ってしまったのですごすご退散しました。さすがに 2 年連続羊羹はうーんという感じもするので当日までにもっとよい品にお目にかかれたら自分で食べようと思います。

とりあえずノルマはこなせたもののまだまだ歩き足りないしなにより今日はまだおいしいコーヒーを飲めていないのでさらに歩いて六本木一丁目駅ちかくにある喫茶店にも寄りました。コーヒー器具のハリオがやっているらしく、入り口にはあざやかな V60 ドリッパーとかが置かれていてけっこうみためにたのしかったです。あたたかいドリップコーヒーとバジルチキンのサンドイッチをたのんでみましたが、せっかくならサイフォンにしておけばよかったかもしれません。途中からガラス窓にとまったカメムシに夢中だったのでコーヒーの味はあんまりよくわかりませんでした、あとめちゃくちゃでかい声でずっと会議かなんかをやっているひとがいたのでちょっとくたびれました。

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以上です。たのしいおやすみももうおわりか〜……めちゃくちゃ気が滅入りますがまずは明日を充実させるためにさっさと寝ないといけません。どうもありがとうございました

くらしのチェックシート