台風の影響で朝から強めの雨が降り通し気温も上がらないおおよそ外出向きではないおてんきで、にもかかわらずしっかりおでかけしてくたびれたおやすみでした。

昨晩はくたびれていたところにげんきドリンクを飲んだこともあってか頭痛まででてきたのでボルゴウを書いたらはやじまい、1時前にはおふとんへ入ってしまいました。そこからガスコンロをおそうじする動画をみたりする無意味な時間をはさみつつ就寝は 2時前、もう少しシュパシュパ行動できればもっとはやくねむれたのにとは少し思います。

それでもあたらしい魔法薬がききめを発揮しているのか明け方 1回と入れに目覚めたほかは中途覚醒もなく、気づけば 10時前までしっかりねむることができたのでよかったでしょうか。できれば休日も 8時すぎにスッキリ起きられるとよいのですが、それは中途覚醒が落ち着いてきてからの課題ということにします。あとやっぱりげんきドリンクはダメですね、ただでさえニガテな寝覚めがさらに悪くなるのでおうちでは飲まない方がよいのでしょう……ということをわかっていてもやめられる自信はありません。

ともかく起きてからは朝ごはん、フレンチプレスのつめたいコーヒーにハムエッグのサンドイッチという昨日とまったくおなじ献立でした。そろそろ大丈夫だろうということで鉄フライパンに油を敷かずに卵を焼いてみたのですがやっぱりイマイチですね、剥がれよりも熱の入りが均一でないことによる黒焦げというのが発生して味が落ちるのでめんどうでも油はひいたほうがおいしくしあがります。

あとはおそうじやおたく活動にいそしもうと思っていたのにホゲーとしていたらもうおうちを出る時間、おおあわてで身づくろいをしたら外へ飛び出します。雨靴の方がいいかなと脳をよぎったのに組み合わせをかんがえるのがめんどうでフツーのスニーカーで外へ出たら思ったより雨足が強く、駅までの道のりでしっかり足元がびしょびしょになってしまってかなり気勢が削がれてしまいました。

今日の目的地は有楽町、途中までは京浜東北の快速でショートカット♪と思ったらそういえば快速で有楽町には止まらないのだった。しかたがないので人が降りにくそうな御徒町で降りてみたら山手線がやってくるまでには数分待って、これなら最初から山手線一本で行ったほうがよかったですね。

ともかく有楽町へついたら少し歩いて日比谷の映画館へ、今日はつい先日封切りされたばかりのバックルームをみます。時間ギリギリにつくのが悪いとはいえ劇場内は大混雑、フードの注文機には長蛇の列ができていてまったく閉口します。2時間の映画くらいなにも食べたり飲んだりせずにみられないものかね、と思いながらしっかりとコーラを買いました。

そうして始まったバックルームは、正直に言えば期待を大幅に下回るつまらなさでした。正直この noteでいいたいことはすべて言われていて ほんとうに、このとおりだ。としか言いようがないのですが、がんばって要約すると前に進むのをこばむ人々が見出した安全基地を乗っ取ったやつによる聞くに耐えないペラペラの説教がジャンプスケアに彩られ襲いかかってくるという感じで、こわいとかおもしろいとかではなくただただくたびれる不愉快さでした。

この映画において不愉快な点はいくつもありますがひとつめは間違いなく backrooms……ひいてはリミナルスペースなるものにたいする態度でしょう。リミナルスペースが恐怖や不安と密接に結びついていることはその経緯からしても認めざるを得ませんが、同時にノスタルジーや落ち着き、安心感を想起させるものでもあるというのがこのクリーピーパスタのきわめて重要な魅力であることもうたがいはないことと思います。にもかかわらずこの映画において後者の側面はまったく削ぎ落とされており、徹頭徹尾異質で不気味、化け物がうろつき悲鳴が聞こえる空間におとしめられているのが不愉快でしかたない。

もちろんこれが backrooms の複雑な成立過程……ネットミームであると同時にシェアワールドでもあるという背景に起因するものであり、監督の出自からしてもシェアワールド的世界観に寄るだろうということくらいは理解していますが、それにしてもこんな贅沢なビジュアルをあたえられておいて出てくるのがこれ?という失望はいなめません。そもそも実は backrooms を管理する組織があってフロアごとに特色や怪物がいて……みたいな設定つまんなさすぎる。8番出口の映画でも強く思いましたがなんでそんなに意味を見出したがるんだ、ただ在るというのはそんなに退屈ですか?あまりに意味厨すぎるし本来のリミナルスペースが持っている芳醇で複雑な雰囲気をものすごく矮小にするめちゃくちゃつまんない行為だと思います。

そしてふたつめのより根深い問題が、8番出口と同様この一見不条理で無意味な空間に対して映画で割り当てられた意味や物語というのが信じられないほどありきたりで退屈なうえ言いたいことのために現実の困難をたやすく踏みつけにしている点と思います。

今作においてはじめに backrooms へ迷い込むうだつのあがらない家具屋の店長・クラークは建築家になる夢をあきらめただけでなくその性格(「回路」)によって交際相手とも破局してしまった過去を持ち、彼が通うセラピスト・メアリーも母子関係において大きな欠落を抱えていることが匂わされます。まずこの構図がダサすぎる、どうして困難や屈折を抱えている人物ばかり backrooms へ迷い込むんですか。全部の指にダイヤ嵌めてるようなやつが迷い込んでもいいだろ。リミナルスペースを人生の閉塞感や鬱屈のアナロジーとして利用しないでください、困難を抱える人々の日々をくだらない怪奇現象に取り込まないでください。またこういう人物の背景を匂わせるやりかたというのがまた不愉快ですね。どうせたいした話でもないのに細切れで持って回ったような演出をだらだらくどくど、言いたいことがあるならきちんと言いなさい。

そうして最初こそ理性的(?)に backrooms を探索していたクラークでしたがそのうちに backrooms の魅力?魔力?に取り込まれ一時は迷宮の王となり、しかし彼の後を追って無策のまま飛び込んできてあっさり迷ったメアリーの我が身可愛さから出た言葉に惑わされたあげく怪物にむさぼり食われて死んでしまいます。あとはもうパニックパニック、たいして見どころのない追跡劇をしばらく繰り広げ命からがら逃げ出した先はおなじみ backrooms を研究する機関で……というところで唐突に映画は終わり、彼ら彼女らのすったもんだも今作においては記憶の集積として定義づけられる backrooms の一部となって次の犠牲者を待ち構えるのでした。そうですか、また自分の抱える持ち味を乗りこなせなかったやつが死んでいく資本主義の話ですか。資本主義に対するアイロニーを孕んだ vaporwave と結びつけられることもあるリミナルスペースをモチーフにした今作が実質的にそのイズムを内在化しているというのが一番おもしろいところかもしれませんね。

いろいろ言いたいことはあるがいちばんひっかかるのはやっぱりここだな、作中でクラークが発する「ここが俺の居場所だ」「俺は変わりたくない」、これはノスタルジーを刺激し(事実がどうだったかはともかく)古き良き思い出を想起させるリミナルスペースという場所と結びついてものすごく強固な主張になっている。それに事実として、こういう空間があればいかほどか救いになる人間は、ここに不気味さでなく安全さ安心さを感じるひとびとだってたくさんいるでしょう。いうまでもなく小さな銀河もそのひとりです。

にもかかわらずそれに対するメアリー……同じように傷つき体験を抱えながら他者の困難を受け止めるといういわば社会に受容されたクラーク、が極限状態で発することばは「じゃあそれで」「ずっとここにいなさい」「ただし私は家に返して」、これってあまりに残酷すぎないか。こうして突き放されたクラークがようやく自らの過ちを悟りメアリーを解放しようとしたとたん友好的だったはずの迷宮の仲間たちがとたんに牙をむきあわれクラークはまるかじりされて死んでしまいましたとさ。前に進むのをこばむことはそれほどにダメなのか?怒りっぽいとか他責的とか、そういう「回路」があるというのはそれだけで罰されなくてはいけない?自意識の怪物にまるかじりされて死ななくてはいけないほど?たのんでもいないのに資本主義のゲームに強制参加させられて、そのルールに適した能力がたまたまなかったというだけでドロップアウトしたら誰もいない不気味な空間でジッ……としていなくてはいけないんですか?殺しますよ。こっちは言われたとおり薄暗くて誰もいない隙間でジッ……としているんだから、頼んでもねーのに押しかけてきて安全基地をめちゃくちゃにするやつらは全員かじって食べちまおうぜ!!としか思えない。

というのは言い過ぎにしても、やっぱりこの作品も 8番出口と同様テーマでもある象徴的な空間から脱出できる/できないを社会との接続可能性と結びつけている(ように見える)というのが最大の問題だと思います。そして作中で提示されるルールが本来困難を抱えるひとびとにとっても救いであったり安全基地であったり、あるいは逃避先であったりするような舞台を排斥の装置に変えるというのはあまりに残酷だし邪悪と思います。ほんとうにあらためていうまでもなく小さな銀河は 8番出口も backrooms も脱出できないですよ、それでも毎日生きていますよ。

なにせ内容がずっと緊張を強いられるものだったので終わるころにはもうヘトヘト、休憩できそうな喫茶店を探さなくてはいけません。なにせおまちですからおみせ自体はたくさんあるもののどこも店の場所がぜんぜんわからない、数寄屋橋のあたりであまりに行くあてがなく立ち尽くしてしまったものの、ほどなくして喫茶店の看板を見つけることができてなんとかなりました。

見つけたお店はやや混んでおり店前には行列ができているもののどうやら二組待ちていど、これならなんとかなりますね。微妙に雨が吹き込んでくるよくわからない場所で待つこと十分ていどでしょうか、わりあいつつがなく中に入れてよかったです。

ふかふかのカウチに腰を下ろしたらコーヒーとピザトーストを注文し、タバスコをビシビシかけて食べました。おまちというのはとにかくつかれる、なぜならジッ……とできるスキマがないから。あらゆるスキマにひとがいるのでただ立っているだけでどんどん消耗してしまいますね。くたびれていたためか食後のアップルパイも思いのほかおいしく感じました。

ほんとうは帰り道に気分転換がてらおうたやさんでも行こうかなと思っていたのですが、すでにしっかり遅いしヘトヘトなのであきらめて最寄駅までもどり、小さなスーパーで鶏むね肉とみょうがを買いました。

おうちへ帰ったらまずはおりょうり、昨日失敗した鶏の白ワイン煮の残りをリカバリーすることを考えましょう。まずは買ってきた鶏むね肉に塩とタイム・こしょうをすりこみ常温へもどしている間にたまねぎを刻み、色がつくまで炒めたらフライパンを整理してから鶏むね肉とにミニトマトを入れました。ほんの少しだけ焼き色をつけたらたっぷりの水と前回分の残りの煮汁を加えて火を強め、あくがわいたらとってからローリエを入れて煮込みます。前回の反省として白ワインがマズすぎた可能性、そしてたんに具材の分量が少なく液体に対するうまみの濃度が低すぎた可能性をうがたっているのでそこを潰すイメージでやったら前回よりはだいぶマシな味のスープがとれました。

鶏肉がおおむね煮えたら具材を取り出し今度は当初の想定通りリゾットへ展開していきます。オリーブオイルで洗っていない生米を炒め油が回ったらスープを投入、あとは水分がなくなりかけるたびにおたま一杯分のスープを加えていったらおわりです。最初にちょっと米粒を炒めすぎたのともともとスープの色が濃かったこともありちょっと汚い見た目になってしまいましたが、たき加減としてはアルデンテでひさしぶりに作ったわりにはうまくいったでしょうか。

あとは肉を切り分け野菜をよそい、リゾットにはおろしたチーズをまぶしたら完成です。もともとはしんじられないほどまずかったスープを十全に吸ったリゾットにおそるおそる口をつけたらしっかりうまい!塩気をきつめにしたこともありパンチのある味わいになりました。そしてそれ以上にやんわりと煮えた鶏むねがめちゃめちゃうまい、一般的な低温調理のようなピンクがかったところからあとほんのわずかだけ火が入って真っ白だがかたくはなっていないごく好みの塩梅で、結局 1枚分まるまる食べてしまいました。やっぱりおりょうりは心と時間の余裕というのがてきめんにあらわれますね、あわてたりイライラしたりしながらつくるとおどろくほどまずくなる。つまりやはりくつうがすべてわるい!

食後には台所のおそうじだけなんとかこなしました。といってもいつものように「すべて」をおそうじしていると時間がいくらあっても足りないのでガス台とシンク下の棚にシンクだけ、それでもシンク下にしまっていた寸胴鍋の底が意味不明な汚れ方をしていたりと落ち込むポイントはたくさんありました。さいきんようやくわかりましたがおそうじ以外のことをするとおそうじができなさすぎる、さりとて 1週間もおそうじをさぼるとおうちが耐え難い汚さになってしまう。この矛盾をいかにして解消すればよいのか、1週間どころではなくさぼっているクローゼットの中や本棚の裏はいったいどうなっているのか?なにもかも考えたくないしある日突然風通しがよいおおきなお屋敷に引っ越すことを妄想して難をのがれました。

あとはおふろにはいって少しだけオタク・ドロウイングをすすめたらたのしいたのしい休日もおわりです。明日は大雨とかなんとか、電車が止まるとか本数減るとかそういうレベルらしいのでなんとかおうちで作業できるでしょうか。

以上です。どうもありがとうございました

くらしのチェックシート